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口丹&北摂ぐるっと §12

宝塚市は人口約22万人。歌劇と温泉と手塚治虫の街である。宝塚の市街地名は江戸時代から見受けられ、古墳に関する塚に由来するだろうと言われてはいるが、未だに「この塚だっ! 」という確証には至っていない。温泉自体は1223年にはあり、阪急宝塚駅のすぐ南側に流れる武庫川の対岸に元湯がある。寺内町として発展した小浜地区。17世紀には有馬街道の宿場町として栄え、現在はまだ面影ある町並みを活かし、観光地としての整備に力を注いでいる。宝塚歌劇の始まりは1914年である。私鉄の多角経営の祖とも言って良い阪急の小林一三。1910年に阪急電鉄の全身である鉄道を宝塚まで開業させた。主目的は都会の人々を宝塚温泉へと輸送することであったが、付加価値として宝塚少女歌劇団を作った。後にだが、逆に都会側には百貨店を造り、宝塚には遊園地も開業させた。それに倣ったのが東急の五島慶太だったが、現在当たり前な私鉄沿線に系列の商業施設や娯楽施設があるのは、この二人が成功したからに他ならない。

福知山線の前身の鉄道会社は、私鉄の宝塚駅より少し早い、1897年に宝塚駅まで開業している。当時は終着駅であったが、徐々に北進していったのだった。そんな宝塚市に、約二十年間暮らした手塚治虫に因みリボンの騎士サファイアという観光大使がいる。基本的には市の観光PRが任務である。性別は関係なく18歳以上であれば応募出来る。任期は基本一年間。一任務辺り4,500円〜9,000円の謝礼が支払われる。見たことは無いが、サファイアに相応しい人物が選考基準らしい。多分目が細くて、シュっとしてない人は落選だろう。はてさて、どんな人物なのだろうか。余談になるが重賞レースの開催される阪神競馬場は、宝塚市に所在していて、阪急今津線沿線の駅近にある。

宝塚駅は両脇にバス乗り場を配する広い道路を挟み、阪急とJR駅が対峙している。阪急は高架駅で、JRは地平線である。両駅とも改札階は二階であり、屋根付き駅間デッキで結ばれている。乗降客はJR側65,000人、阪急側50,000人である。JRになり近郊路線強化施策以降、比較にもならなかったJR宝塚駅は、三田市や西宮市北部の住宅開発も要因だが、みるみる増加して阪急を逆転してしまった。単純に大阪(梅田)を着地とした場合だと、線形の関係上JRの方が所要時間が有利である。また定期運賃の施策も成されたこともあるし、遊園地の閉園も少なからぬ遠因となっていると思われる。ただ宝塚市南部や西宮市やそれ以西へは、一旦尼崎まで行かねばならぬJRよりは、阪急利用が断然利便性が増す。その為に双方間にそれなりの乗り換え客が発生する。私の印象では、阪急からよりはJRからの方が乗り換えが多いように見受けられる。

阪急宝塚線には急行と普通が運転されている。基本的には急行は全線運転で、途中の川西能勢口以西は各駅に停車する。普通は川西能勢口の隣にある雲雀丘花屋敷(ひばりがおかはなやしき)以東の運転となっている。しかし朝や夜方には一部の普通が全線運転となっている。予定では急行に乗ることになっていたが、丁度珍しい普通が宝塚駅に顔を出していたから迷わずに乗車。ガラガラだったのは、数分後に急行があるからだ。しかし梅田に先着するのは先発の普通である。普通は細かく停車してまだるっこしい上に、停車駅が多い分だけ余計に客が乗り降りするから鬱陶しいと言えばそうである。梅田に普通が到着した一分後に、次発の急行が到着するというダイヤになっている。途中で追い越し可能な駅があるが抜かれない普通。でも宝塚駅のみんなは、停まらない方を選ぶんだね。

宝塚を9時24分に発車。客は疎らに数人だけ。 北摂の山々の端っこが宝塚線沿線の近くにまで迫っている。JRを乗り越して山際に更に近付く。 阪急宝塚線沿線には社寺の名を使用した駅が幾つもある。隣駅の清荒神(きよしこうじん)もその一つだ。896年に創建され 、駅から荒神川を約一キロ遡った山あいにある。清澄寺三宝荒神社があり、宇多天皇清荒神と名付けた。37代法主富岡鉄斎と縁があり、彼の作品を収集していた。それが昭和50年に境内に建設された富岡美術館に繋がった。かまどの神様としても信仰されている。

また隣の売布神社(めふじんじゃ)。周囲は住宅地であるが、駅から数分歩くと山裾に木々に覆われた賣布(めふ)神社がある。1,400年ほど前の605年に創建された。祭神は下照比売命と天稚彦神。下照神は当地の人達が餓えと寒さで苦しんでいるのを憂い、稲と麻を植えることと、麻で織物を織ることを教えたとのこと。米種(まいたね)が売布谷(めふたに)へと転化したのこと。この辺りが米谷(まいたに)村と称したのも、それが由来だとされる。神社内にある摂社豊玉神社は開運のパワースポットとして名が知られており、訪れる人が跡を絶たない。

中山観音は中山から改称された駅名である。中山寺聖徳太子創建と伝えられ、我が国最古の観音霊場である。子授け・安産信仰でも知られ、西国三十三ヶ所霊場の札所でもある。阪急より南側に位置するJR宝塚線の駅名は中山寺である。電化当時には簡易委託で利用者も疎らであったが、近くに伊丹市との境があり、伊丹市北部の発展のお陰で乗降客が増加。今や快速停車駅となっている。駅からバスで伊丹駅に抜けることも出来る。バス利用で、伊丹市北部の荒牧地区にあるバラ園はシーズンには大変賑わう。伊丹荒牧郵便局には、バラをデザインした風景印が配備されている。中山寺の境内にあるお休み処では蓮ごはんが賞味出来る。蓮根・銀杏・くこの実・雪菜・油揚げが入ったおこわを蓮の葉でくるみ、巾着状に縛った形をしている。

山本駅界隈は住宅地のように見えるが、近接する国道176号線を走れば分かるが、植木屋が多い。埼玉県川口市安行と、福岡県久留米市田主丸と併せ、日本三大植木産地となっている。十世紀に坂上頼次が花園を作って栽培したのが起源で、安土桃山時代に坂上頼泰が接ぎ木法を発明。秀吉より木接太夫の称号を受けた。山本駅前には木接太夫彰徳碑がある。山本園芸協会も、その始まりは江戸時代である。宝塚植木まつりも130回と歴史を重ね、草花や植木等約二万点が販売される。現在の山本駅は、平井駅と山本駅を統合して開設された。住民の要望にて、山本の駅名標の下には括弧書きで平井の名も表示されている。

宝塚線の車両が集結する平井車庫を眺め、次駅の雲雀丘花屋敷(ひばりがおかはなやしき)に到着。雲雀丘駅と花屋敷駅が統合されて開設された駅である。山裾にある駅で、北側はお屋敷地帯である。車庫の入出線の関係で、当駅を始発終着とする列車が多数設定されている。駅構内に市境があり、雲雀丘地区が宝塚市域で花屋敷地区は川西市域である。

駅からバスで満願寺に行ける。奈良時代創建の山中にある古寺である。聖武天皇が諸国に一つずつ満願寺の建立を命じた。摂津国に造営されたのが、ここの満願寺であった。境内には坂田金時の墓がある。満願寺からはハイキングがてらに山中を進み、最明寺滝付近を経て山本駅まで抜けられる。

川西能勢口駅は、宝塚線の拠点駅の一つである。人口15万人の川西市の代表駅であり、阪急グループの能勢電鉄との乗り換え駅でもある。川西市猪名川の西側にあるからその名となり、平野地区は古くに炭酸を含む鉱泉が湧き、三ツ矢サイダー発祥の地でもある。植村花菜(大久保利通の親戚筋)の出身地であり、由美かおる・寺門ジモン・松下奈緒が一時期を過ごした市でもある。猪名川花火大会には、毎年十数万人の観客で賑わう。

川西能勢口駅の乗降客は、阪急47,000人・能勢電鉄46,000人となるが、能勢電鉄側の多数が阪急に乗り換えていると思われるので、ホームでの実質の客となると、阪急の方が遥かに多く見受けられる。1992年に阪急が、1996年に能勢電鉄が高架化された。能勢電鉄方面と阪急梅田を直通する列車も設定されており、朝ラッシュ時の梅田行きと、夕方ラッシュ時の梅田発の、それぞれ片方向のみの運転となっている。輸送効率としては日本の私鉄屈指の阪急だが、輸送量は減少気味である。増客施策の一つとして、能勢電鉄の利用客を取り込む狙いで始まったものである。

駅南側にある商業施設を通るルートで、徒歩五分程の位置には、JR宝塚線川西池田駅がある。今でこそ住宅地が拡がっているが、市街地の端っこ的な場所にある。かつては客車列車で本数も少なく、うらぶれた駅だった。電化時も一列車から数人しか降りない程に閑散としていた。JR化以降は抜本的に線区の利便性が図られ、阪急側のような賑わいには到底及ばないが、乗降客は四万人弱で快速停車駅となっている。駅は二面四線構造で、快速と普通の相互接続が頻繁に行われている。1981年までは能勢電鉄にこの駅までの路線があり、川西国鉄前という駅が設けられていた。廃止後の路線跡は、道路に転用されていて跡形も無い。ただその線形は、そういう路線があったことを知る者からすれば、如何にもである。

市街地を抜けると、視野が広くなる、猪名川である。阪神地区の西側を貫流するのは武庫川で、東側を貫流するのが猪名川である。川沿いに阪神高速の高架橋が通り、水も清くは無い。橋梁の南側は住宅地で変哲無い光景であるが、北側は五月山を望み高い建物も殆ど無く、宝塚線沿線の車窓風景としては上位となるだろう。この川が府県境となり、大阪府池田市に入る。

9時39分、宝塚から15分を要し池田に到着し下車した。1986年に完全高架化された高架駅で、広々とした島式ホーム一面二線の駅である。人口十万人の池田市の玄関駅である。乗降客は約五万人。隣駅にある同市の石橋駅の方が乗降客的には下だが、箕面線からの乗り換え客や、大阪大学最寄り駅であるのもあり、印象としては石橋駅の方が賑わいはあるように思う。

阪急電鉄の前身である箕面有馬電気軌道が開業したのが1910年。当時から阪急の本店があり、移転した後も登記上の本店所在地は池田市となっている。創設者の小林一三が私鉄で初めて住宅開発をしたのが今から約百年前、ここ池田市の室町地区である。現在では当たり前のように鉄道各社が沿線の住宅開発をしているが、その元祖はここ池田なのである。小林氏も池田に住み、旧邸は逸翁美術館として一般公開されている。とても素敵な建物なので、チキンラーメン開発の地である池田にお越しの際は是非訪問をお勧めする。